タイ北部の都市チェンマイへは何度訪れたことだろう。空港で入国審査を済ませ、いつもの四駆のレンタカーを借り、街から南東へ車を飛ばす。山岳地帯に住む少数民族カレン族の村に滞在し何か学んでもらえたら、と今回は小中学生を数人、連れてきた。初めての旅券で初めての外国、子どもたちは緊張気味だ。沿線の食堂で、トムヤムクンなどタイ料理をとる。辛くて甘くて酸っぱい味、子どもたちは平気で食べている。この先どうにかなるだろう。
ジョムトンという小さな町に泊まり翌朝、地元の友人の案内で山に入る。車で田んぼを畦沿いに走る。すぐ旺盛な緑の熱帯雨林が始まる。悪路だ。一時間も走ったのだろうか。すでに、タイの少数民族カレン族の住む場所だ。数軒だけの村に車を預け、あとは歩きだ。谷伝いに小路を進み、名も知らぬ巨大な広葉樹の林を抜け、小さな峠を越えた。何十頭の牛が、牛飼いに追われてすぐ前を通りすぎた。聞いてみると、隣国ミャンマーから連れてきているという。検疫はどうしたのだろう、出入国はどうしたのだろう?
山歩き二時間、目的の村に着く。水道もガスもない。NGOが設置した太陽光発電で、電球とラジカセだけがあった。高床のカレンの家が、山中の平坦地に十戸ほど肩を寄せるように建っている。夕食、原色の衣服を着た村人とともに、鶏をつぶして、解体した。驚く子どもたち、かつて客人の供応にと、日本でもあった風景だ。薪で鶏肉と野菜を炒め、車座になって食べた。夜は村の集会所でごろ寝だ。漆黒の闇があった。
数日、村とジョムトンに滞在し、チェンマイへ戻る。村から来ると大都会に見える。タイ第二の都市、古代より数多くの王朝が、この地で勃興した。二十世紀半ばまで独自の王朝があり、今も独自の言語(北部タイ語)を持つ。堀で囲まれた旧市街には、十三世紀以来の古寺が、数多く存在する。子どもたちを連れて、チャーターしたソンテウ(トラックバス)にのり、幾つか寺へ参る。
十四世紀、この地の王朝が建てたワット・チェディルアン、巨大な仏塔が建つ。十八世紀に大砲で頭頂部が破壊され、そのままになっている。タイ仏教の至宝ともいうべき「エメラルド仏」(現在はバンコクのワット・プラケオにある)が、十五世紀までこの仏塔内にあった。美しく彩色された破風、天をつくような尖塔、サフラン色の僧衣、タイの伽藍はとても絵になる。この街で最も尊崇を集めるワット・プラシンには、小僧たちの学校もあった。修行道場なのだろうか。日本の子どもたちとなにやら話している。タイ仏教、全土に四万近い寺と四十六万人の僧侶、小僧が存在し、戒律を厳守した出家生活を送る。タイの男性九五%が、人生の一時期、仏道修行を行う国でもある。町ではどこでも早朝、托鉢に向かう比丘、日よけの大きな傘をさし小僧を連れて法事へと向かうサンダル履きの僧の姿がある。
連れてきた子どもたちは、何を見、何を体験したのだろうか。国を越えると、空気もにおいも味も言葉も、劇的に変わる。少数民族の村では、太古と同じ生活をし、時間も遡ることが出来る。同じ仏教でも、仏像も経典も衣も違う。タイの日々で、何を得たのだろう。
日常からの脱出である旅は、まったりと続く日本の日々を相対化する。せめて、祖国の歴史、文化、言葉を大切にすることを学んでくれたらと、ソンテウに揺られながら思う。
ワット・チェディルアン(チェンマイ)
My Pilgrim’s Note for Asian BuddhismTemples
布を織るカレン族の女性(ジョムトン郊外)
臼で米を脱穀する(ジョムトン郊外)
巡礼メモ
バンコク経由で、日本各地の空港から最短十時間程度でチェンマイに着く。バンコクへは日本各地の国際空港からフライトあり。チェンマイ・バンコク間も毎日十便近くあり便利。空港・市内間はタクシーで約十分。