境内

境内地図

切腹-少弐伝説と少弐墓地

  • 境内にあり、古くから「少弐さん」として信仰を集めている。中世北九州一円を支配した戦国武将少弐氏の13代少弐政資、14代少弐資元の墓所。政資は応仁の乱後、北九州の支配を回復し少弐氏中興の英雄となったが、明応六年(1497)大内勢の大軍に追われ、専称寺境内で自刃した。また資元も専称寺南の小高い山にあった梶峰城で天文五年(1536)に病死、親子並んで葬られている。墓碑銘は政資「前太宰都督司馬少卿安護院殿明哲本光大禅定門」、資元「前三洲大守太宰少弐都督司馬少卿心月本了大居士」。墓碑は室町期の代表的な墓塔とされ、多くの文献に紹介されている。本堂には位牌も祀られている。

  • 核割れ梅画像

    核割れ梅

    少弐墓地画像

    少弐墓地2基 須称壇座式無縫塔(室町時代)

「核割れ梅」(さねわれうめ)は当寺本堂前にあり、少弐資元が切腹の折に口から吐いた梅の種から発芽、成木になったと伝えられる。現在は、当初の梅の木から何代か後の梅で3月花が開く。佐賀の名木100選。
(参考文献 平凡社「歴史地名体系・佐賀県の地名」、世界文化社「日本の伝説16」核割れ梅 滝口康彦)

 

 

専称寺の大ツツジ(サツキツツジ)

  • 当寺内庭にあり、正式にはツツジ科のサツキツツジ、6月に紅桃色の五裂の花が咲く。枝張りは5×3メートル、現在知られている同種のツツジでは九州で最も大きいと言われる。一般のサツキより遅く5月下旬~6月上旬に満開となる。佐賀県名木100選 多久市天然記念物

    樹  高
    3.5メートル
    幹  回
    38センチ
    推定樹齢
    600年
  • ツツジ画像