亜州古寺巡礼

My Pilgrim’s Note for Asian BuddhismTemples

 1994年秋のことだった思う。ベトナム・ホーチミンの安宿街のほど近くに宿をとった。一階は、レセプション代わりの粗末な机一つ、その向こう側に従業員用のパイプベッドと原付バイクがあり、奥がオーナーの居住スペース、床は人造大理石、天井にゆらゆら回る天井扇という、典型的な東南アジアの安宿だ。ふらりとチェックインしたが、カウンターには「A-chou Hotel」 とあった  2、3日、メコンクルーズなど観光を楽しみ、カンボジアの国境へ向かった。バスのなか、することなく、肩掛けのバッグのなかを整理した。宿のレシートが出てきた。「Receipt **Don 27/11/ 1994 A-chou Hotel 亜州賓館」とあった。「そうか、A-chou とは亜州、つまりフランス語圏だったベトナム系中国人が使う『亜州=アジア』の発音なんだ。ホテル・アジアだよ。」と気付いた。
80年代半ばに、1年半ほど、亜州、欧州をふらついた。 それから、四半世紀、小さなNGOを立ち上げたり、NGO支援組織の事務局をしたりで、何度も何度も、アジアに足を運んだ。旅券のスタンプを整理したら、延べ900日ほど、アジアを訪れていたことになる。
 多様性と歴史のアジア。極寒のシベリア、モンゴルから、赤道直下の熱帯雨林帯を持つインドネシアまで、自然の多様さははかりしれない。仏教もまた、BC5世紀の釈尊降誕から2500 年、揺籃期のインド、仏像の発生地ガンダーラ地方(パキスタン)、三蔵玄奘も超えたパミール高原を経て中央アジアから中国、韓国、日本へ向かい、南へは上座部仏教がスリランカを経て、ミャンマ一、タイへとわたった。インド仏教後期の信仰をそのまま移植して独自の発展を遂げたチベット・モンゴル仏教もある。仏教はアジアの土地に根ざした多様性の教え、他を寛容する教えであり、仏教が北伝、南伝と伝播するあいだに、様々な土地の神格を取り入れ、多神教化した歴史でもある。
「亜州古寺巡礼・My Pilgrim’s Note for Asian Buddhism Temples」 と名付けたこの小紀行文は、25年ほどかけて回ったアジアへの旅で、折に触れて訪れた古寺、遺跡約150カ所のうち40の古寺訪問記である。なかには世界遺産に指定され年間何十万人の観光客を集める敦煌遺跡(中国)、アンコールワット(カンボジア)などの遺跡から、モスリムの国でひっそりと保存されるジョーリアン遺跡(パキスタン)、米軍の空爆で破壊され、今も保存活動に手が回らないミソン遺跡(ベトナム)など、多様な古寺・遺跡がある。ただ、中国、インドの一部を除き、ほぼ歴史的に重要な古寺、遺跡は網羅したつもりでいる。読んでくださる方々の旅心を起こしていただければ、望外の喜びだ。
 なお、この紀行は、浄土宗出版が発行する季刊の小冊子「かるな」に2001年春号から2011年冬号まで連載させていただいたものである。
専称寺住職 川副春海

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