宝物紹介
阿弥陀如来座像
桧の一木造りで衣紋や頭部の螺髪の様式などから、約八百年前、平安時代末期(藤原時代)の仏像の特徴を示している。当寺の多久建立が12世紀初頭であり、当時の本尊と考えられる。市重要文化財。
- 像高65.0センチ
- 平安時代(藤原時代)
十王図・観無量寿経変相図
観無量寿経変相図
十王図・都市図
十王図・閻魔図
十王図・初江図
江戸時代元禄期の多久藩の絵師による地獄、極楽の相を描いた図。観無量寿経変相図は、浄土三部経の観経の示す極楽の相を描いた曼陀羅図。十王図は十王経の示す閻魔大王など地獄の十王の裁きと、その地獄の相を描いている。弘化三年と平成二年の二度修復。
- 10幅・1幅 紙本着色
- 139.3×57.8センチ
- 江戸時代 江口栄春筆
大涅槃図
釈尊の入滅を描いた図。右手を枕に涅槃の相に入った釈尊を中央に、釈尊の母摩耶夫人が天上から駆けつけ、阿難尊者など釈迦の高弟、菩薩などや多くの動物までもが嘆き悲しむ様を描く。
- 一幅 絹本着色
- 199.0×154.0センチ
- 江戸時代中期?
雲板
法要などの合図を知らせる音具。表には蓮華紋の撞座、「肥前洲上松浦西綿厳木村梅渓庵」「應永十六年」(1409)と銘文を刻んでいる。肥前の銘が入ったものとしては最も古い雲板。多久町の広厳寺廃寺跡で発見され、当寺に寄贈された。現在は多久市郷土資料館に預託
- 銅製
- 28.2×27.1センチ
- 室町時代
古文書「御家中寺社由緒書」
江戸時代・佐賀藩の一私領であった多久邑(現在の多久市及び武雄市北方町、大町町、江北町の一部)の寺社の歴史を記した388頁からなる冊子。これによると当寺は平安時代の大同二年(807)、行基菩薩の創建とあり、のち天台宗となった。一遍上人の九州行脚の折にしばらく居住せられ時宗となる。鎌倉時代に下多久(現在の多久市南多久町)から、現在地に移った。慶長年間(1600頃)に浄土宗となり、その後焼失し詳しい縁起が判らなくなったとある。(平成27年『多久古文書学校校注、佐賀藩多久領御家中寺社家由緒書』として東京・岩田書店より翻刻出版された)
- 1冊 墨書和綴
- 江戸時代