正月をタイ・プーケット島で過ごし、年明けにマレーシア・ペナン島を目指した。国境の町ハートヤイまでエアコンの効いたバスで八時間。雨模様の街に降り立ち、トクトク(オート三輪のタクシー)のオヤジの勧めるがままに投宿する。華僑の宿らしく受付の脇には中国仏教の祠がある。翌朝早く、闘牛を見に行く。町では見かけない高額紙幣を握りしめた男達、その汗が飛び散る闘牛場の最前列。隆とした筋肉を誇る牛たちの死闘を見た。帰路、掘ったて小屋の旅行代理店でペナン島行きの切符を買いバスに飛び乗る。サダオの国境からマレーシアに出た。風景に大した差異があるでなし、ゲートで旅券を差し出すだけ、簡単なものである。小雨の舞うマラッカ海峡沿いの道を走り、島対岸の街バターワースに着いたのはすでに夜十時近かった。フェリーで島にわたる。
この島は、香港にとても似ている。大陸側の九龍(カオルーン)がバターワース、島の頂上にはヴィクトリア・ピークにペナン・ヒル、大陸と島を結ぶフェリーも、ピークに登るトラムもうり二つだ。ペナンは十八世紀後半から、香港も十九世紀中葉から約百五十年前後、いずれもイギリスの支配下に置かれた。
翌朝、ジョージタウンの中心街を歩く。イスラムの響きがするマスジッド・カピタン・クリン通りの入り口には、アジア最古のイギリス国教会セントジョージ教会の尖塔が見える。脇にはポルトガル人が建立したカソリックの教会、少し歩くと中国・福建人、広東人が建てた観音寺(クワンイン・テン)、その向こうにこの国最大のモスクの一つカピタン・クリン・モスクと、印僑の寺マハー・マリアン寺院(ヒンドゥ教)が仲良く軒を連ねる。郊外で、中国様式とタイ、ミャンマー様式を折衷したワット・チャヤマンカララーム(寝釈迦寺)を見つけた。ヒンドゥ寺院の影響か、極彩色のレリーフがとても印象的だ。街の南に中国儒教寺院「ヘビ寺」、シーク教の寺もあった。なんという宗教の混交だろう。迷路のような路地裏に、キリスト教、イスラム教の神、仏菩薩に儒教、道教、インドの古神もいらっしゃる。大英帝国の庇護の元、それぞれがそれぞれの信仰を胸に、西洋、アラブ、中国の商人が集い、貧困と紛争から逃れてきた中国人、インド人もいた。この街は世界宗教のパンテオンだ。
東方の諸宗教には中心がない。関係の網の目のみ存在する。アジア諸国の仏教は、在来の神を尊敬しその上に接ぎ木して繁栄した。アジアの多神教の原理は、対立を包摂し融合させた。釈尊もジャイナ教の教祖も、ヒンドゥー教徒にとっては、その聖者の一人に数えられた。タイの民衆は悪霊神ピー信仰と仏教を同時に受け入れる。ミャンマー人にとってのナッ神信仰だって同じだ。極東の日本では、八幡神はいつの間にか、菩薩の一員としてあがめられ、インド古代の神は祇園信仰の古層に健在である。実は一神教のキリスト教、イスラム教だって、聖母信仰をはじめ、土地の精霊たち、小さな神々を取りこんで発展してきた歴史を持つ。
「『民族浄化』といい、『文明の衝突』といい、現代は宗教間の差異を強調しすぎではないか」と、自転車の前に二人分の座席を設けた人力車に乗りながら思う。狭い路地をスカーフのマレー人女性にサリー姿のインド人、中国、日本のビジネスマンも、等しく行き交うアジアのこの街で「ほら、宗教も諸民族も、充分に共生しているではないか」と、考えた。
ジョージタウン寺院群(ペナン島)
My Pilgrim’s Note for Asian BuddhismTemples
おなじ旧英領、どこかスターフェリー(香港)と似ている(ペナン・バターワース)
巡礼メモ
日本からの直行便はなく、首都クアラルンプール経由が便利。国内線は一日十五~二十便。陸路の場合は、首都から所要時間七時間。ペナン島対岸のバターワースで下車し、フェリーで島に渡るのも楽しい(所要時間十五分)