旅の愉楽は、その準備にこそある。今回の目的は、インド北部ジャンムー・カシュミール州にあるチベット仏教の聖地の一つラダック地方の首都レーである。日程をやり繰りして、出発・帰国日を決める。航空券だけは早めに手配しなくてはならない。代理店に電話して、フライトを捜し、ビザの申請もお願いする。退屈な日常から異界へと飛び越すための旅の準備、心が躍る。
ウェブで注文しておいた真新しいガイドブックと詳細な地図が届く。この時期、気温は標高三千五百メートルを超すレーで、日々氷点下三度から三〇度の変動があるという。真夏と真冬の装備に、いつものカメラ機材、最小限の薬と文房具をスーツケースに詰め込む。近年航空券が電子化され、携帯する必要がなくなった。米ドルと旅券、これさえあれば、どうにかなる。
真夏の首都デリーから早朝五時のジェット機に乗る。周りは、ヒマラヤ山脈西端のトレッキングを目指す西欧の旅行者が多い。飛行機は、雪を頂く山々が連なる狭い谷を何度か旋回して、着陸した。タラップを降りる。吐く息が白く肌寒い。群青の空が輝いている。街の方、遠くに旧レー王宮が見えた。
ラダック地方、九世紀にはチベット仏教が根付き、十四世紀に仏教改革者ツォンカパのゲルク派が移植され、この仏教王国は十七世紀に最盛期を迎えた。百八十年前まで王が統治した珠玉の土地だ。街は摩尼(まに)車を手に、色鮮やかな衣装を着た巡礼者、ターバンを巻いたシークの商人、カシュミールから流れてきたイスラム教徒、ネパール帽の出稼ぎ労働者、人口二万の小さな国際都市だ。中国チベットと違って法王ダライ・ラマの写真も、チベット解放を願うチベット国旗をアレンジした「フリー・チベット」ステッカーも店先に堂々と貼ってある。
高山病予防のため街でゆっくり過ごしたあと、一泊二日五千メートル級の峠越えに、街でチャーターした四駆車で出発した。目指すは不毛の高地四百七十五キロを走破する先の避暑地マナーリだ。ティクセ・ゴンパ(僧院)は、レーから小一時間も走ったところ、小高い丘の上にあった。たたずまいが、チベット・ラサのポタラ宮に似ている。極彩色の山門を通り、巨大な摩尼車を回し、石畳の急な坂を登る。空気が薄く心臓の鼓動が早い。上り詰めたところで、朝のプージャー(勤行)の音が聞こえてくる。暗いお堂に僧が四十人ほど、大きな喇叭(らっぱ)と鉦(かね)の音を合いの手に経典を一心にあげている。読経が一段落すると小僧が大きなヤカンにバター茶を入れて、僧にふるまう。お堂の入り口で振り向くと仏旗はためく向こうに、雪をまとった白くたおやかな連山が見えた。
車は進む。村々や峠の幾つかを超え、悪路が始まる。標高五千メートル近くになると、頭がずきずき痛み出す。途上、最後の茶屋で即席麺をかき込む。揺れる車体、雪がそこまで迫ってきた。銀色の尾根を大回りした先、昼過ぎに標高五三二八メートル、自動車道では世界二番目に高いタグラン・ラ(峠)を越えた。軍の駐屯地と検問所を何カ所か過ぎ、つづら折りの泥の道を、一気に標高差で二千メートル駆けおり、インダス上流の川沿いに走り、夕刻サルチュ村のテントキャンプに着いた。氷点下、薪のストーブで暖を取る。緑の渓谷が嬉しい。ありったけの服を着込んで簡易ベッドに潜り込む。凍てつく寝床でウイスキーを流し込み眠る。明日は、避暑地マナーリだ。
ティクセ・ゴンパ(レー郊外)
My Pilgrim’s Note for Asian BuddhismTemples
小僧たち-朝のプージャー(祈り)を終えて(ティクセ・ゴンパ)
ラダック市内のソーマ・ゴンパ(ラダック)
巡礼メモ
ラダック地方のレーへは、デリー経由が便利。デリーへは成田から直行便が毎日飛ぶ。デリーからは国内線(毎日数便就航)で約一時間ほど。文中の峠越えのルートは、七月~九月中旬のみ通行可能。