「これがあるとき、かれがある。これが生ずとき、かれが生ずる。これがないとき、かれがない。これが滅するとき、かれが滅する」(原始仏典の定型句)。
ブッダガヤはお釈迦さまのさとりの地である。ものごとがあるということは、ものごとが他のものに縁って成り立っている。人は、人やものとの関わりなしには生きてはいけない。仏教の根本である縁起の理法を、この地で証得されたといわれる。お釈迦様はこう自問された。「生の苦しみは何を縁として起こり、そして消滅するか」。
今、ブッダガヤには世界の仏教徒が巡礼に訪れる。インドから、チベットから、経済発展を反映して東南アジア諸国、シンガポール、中国、台湾の中華世界から、そして韓国、日本から、仏教の始まりの場所をめざす。街にはアジアの諸言語が飛び交い、顔も服装も皆違う。しかしそれぞれ仏教の信仰を持ち、固有の礼拝の仕方で、大塔の周りを回る。その下で悟りを開かれたという菩提樹のもと、様々なことばの経を読み、礼拝を繰り返す。体を大地に投げつけるチベット式の五体倒地、線香を持ちながら礼拝する中国仏教。十数年前までは小さな村にすぎなかったブッダガヤが、今やインド経済の成長もあって、ちょっとした国際都市になっている。
仏教には中心がない。確かにお釈迦さまのさとりから、すべてが始まり、ここブッダガヤが仏教の原初の地である。縁起といい、法、無我、中道、慈悲、戒といいお釈迦さまの教えは数多い。しかし仏教はその淵源から、あらかじめ形式的、排他的な教義をたてることなく、現実の人間をあるがままに見るという姿勢を大切にした。人間の理法とは、固定したものではなく、いま生きるこの人間に即して法が説かれた。
仏陀以来、二千数百年の時を経て、土地の神々と習合し、民族固有の思想と対決しながら、多様な仏教が世界に広まった。チベットの濃密な密教世界と、弘法大師空海が請来した真言密教が、さらに例えば戒律を厳格に守り森で瞑想する東南アジアの上座部仏教と、自らを愚禿と称し煩悩を深く見つめて妻帯した親鸞の浄土教が、誰が外見上、同じ宗教だと思うだろうか。しかしそれでも、ブッダガヤでは大聖釈迦如来・お釈迦さまに帰依し、その教えをそれぞれに信じる人々が集い、今日も大塔の周りを共に回り、合掌して礼拝を繰り返す。一のなかの多、多のなかの一、仏教は異端を許容し、仏教徒は共に生きることを最も大切だと考える。
大塔のもとに座って、もう一つの世界的な聖なる土地エルサレムのことを思う。同じ一つの神をいだくユダヤ、キリスト、イスラムそれぞれの信者が、この街に集う。しかし街には装甲車が行き交い、ピンと張りつめた空気の中にテロリズムに怯える人々の気分を強く感じた。神という中心を持ち信仰にあれかこれかを迫る砂漠の諸宗教と、縁の関わりのなかに空を説き、多様性を許容する仏教の差異を思う。
お釈迦さまは、ブッダガヤの風景を見てほほえまれるに違いない。それぞれの信仰を持って「諸悪莫作 諸善奉行 自浄其意 是諸仏教」(ありとあらゆる悪をばなさず 善なるを行いそなえ みずからのこころを浄む これぞ実にものもろのほとけの教え 『法句経』より)の教えを実践なさい、と。
ブッダガヤ大塔(ブッダガヤ)
My Pilgrim’s Note for Asian BuddhismTemples
大塔は夜ライトアップされていた(ブッダガヤ)
インド仏教は世界の輪廻を車輪で表わす(ラージキル)
巡礼メモ
インド仏跡参拝には、首都デリーを経由した方が便利。デリー~成田直行便(週5便ほど)ほか、バンコクなどで乗り換えてカルカッタからブッダガヤへ鉄道で行く。カルカッタやデリーからは鉄道で一泊必要。