ジョーリアン寺院(タキシラ郊外)

My Pilgrim’s Note for Asian BuddhismTemples

ジョーリアン寺院

 「団体旅行も悪くない」とこのごろ思う。パキスタン・ガンダーラ地方から、中国へ抜ける仏跡の旅は、友人十数人と出かけた。大都市ラワルピンディのホテルに着き、ふと地元の英字紙を見ると、目的の町に「夜間外出禁止令、外国人立入禁止令(curfew)が発令された」とある。「この町を通過できないと、今回の旅は台無しだ」。国内線の飛行機でこの町を避けるのか、迂回路を探すのか、それとも「アジアではこんな事日常茶飯事」と諦めて強行するのか、旅程の検討を迫られる。
 アジアの仏跡を巡る旅は、想像を超えたハプニングがよく起こる。スリや置き、下痢に伝染病、値段交渉に手こずる、予定の飛行機が飛ばない……。こんな不慮のアクシデントをどう解決するか、これも巡礼旅の醍醐味ではある。しかし、限られた時間で、要領よく仏跡を回るというのであれば、あらかじめ旅行代理店でアレンジした旅がいい。内乱や戦争下の国でない限り、日本の代理店は世界のあらゆる土地へ旅を作る。今回は、地元の代理店が情報を詳しく集めてくれた。「軍の命令で町へは入れないが、その町を迂回する道路までは封鎖されていない」という。独り旅ではこうはいかない。
 旅の不安を抱えながら、お寺参りを再開する。ラワルピンディから北へ三十五キロ、車を走らせると古代都市タキシラがある。この街の周辺には、アレキサンダー王東征(BC329)以来のシルカップなど都市遺跡や仏教寺院遺跡が散在する。ジョーリアン寺院遺跡は、ダルマラージカ寺院などと共に紀元前後から大帝国クシャーナ王朝の治世まで繁栄した僧院跡である。
 乾期で干上がった川に沿ってカリワーリ谷を遡行し、オリーブの木が点々と生え、石灰岩のゴロゴロとした岩山を登ると、丘の上に遺跡が見える。正門を入ると、覆い屋根で保護された仏塔があった。完全ではないものの、菩薩の塑像が何体も残っている。二千年近くの時を刻んでいるのだろうか。仏塔の周りを巡り、仏にひざまずく修行僧の姿が、見えるようである。
 奥に進むと、一段高くなって僧院が広がる。約三十メートル四方の中庭を取り囲むように僧房が四方に並ぶ。閉鎖的な修行空間である。石積みの高い壁で区切られた四畳半ほどの個室が二十九、講堂、食堂、厨房、貯蔵室など学びと生活の空間が、人里離れた山の寺に備わっていた。古代の比丘たちは、強い日差しのもと、ここで戒律を守り、仏典を学び、祈りの日々を過ごしたにちがいない。
 丘を降りて屋台で飲み物をとる。地元の子どもたちが集まってくる。顔がどこかヨーロッパの顔立ちである。タキシラ周辺からパキスタン北部のスワート渓谷あたりまでは、こうした容貌の人が多い。ギリシア人の侵入など古代以来の文明の十字路であることを実感する。
 数日後、外出禁止令が発令された山の町ギルギットに向かう。バスは町の入り口で検問にあう。機関銃が何門も据えられていた。装甲車がいた。ガイドが武装した兵士となにか交渉している。情報どおり、町へは入れないが、国境へと向かう幹線道路は封鎖されていなかった。ホッとした空気がバスにあふれた。一行は、三蔵法師にならいこれから峠を超えて、中国へと向かう。

  • 破壊された仏像が並ぶ(ジョーリアン寺院にて)

  • カラコルム山脈を望む(フンザ近郊)

巡礼メモ

  • タキシラ周辺地図
  •  タキシラ観光の拠点ラワルピンディへは、首都イスラマバードの空港を利用する。日本からは北京、バンコク、カラチなどで乗り換える。山間部に点在する寺院遺跡へは車のチャーター以外に交通機関はない。