ポロンナルワ遺跡(ポロンナルワ)

My Pilgrim’s Note for Asian BuddhismTemples

ポロンナルワ遺跡

 古都キャンディから、古代仏教都市ポロンナルワへ向かう。早朝、ゲストハウスのベッドを飛び起きてすぐ、荷物をパック、バススタンドへ急ぐ。私営のポロンナルワ行きミニバスが待っていた。一台は満員だったが、うまく次のバスがやってくる。この国の移動のしやすさは南アジアではピカイチだ。
 小雨交じりの天気にもかかわらず、荷物を屋根の上に放り上げるのには閉口する。だがバスの旅はスムーズだ。小さな峠を幾つか越え、猿がいる林を抜け、パイナップル、スパイスや茶畑の間を縫うように走る。巨大なため池の堤防道路を回り込むように、街へと入っていく。仏教都市を発展に導いた灌漑用の巨大貯水池だ。南インドの王朝と激戦を闘ったスリランカの王が十二世紀、この地を首都に定めた。水を制するものは、王権をも制す。街に入る所に、土嚢が積んであった。なかに戦車が隠れていた。今も、この国は、北部のタミール系ゲリラと壮絶な内戦を闘っている。午後一時発のバスは四時過ぎには町のターミナルに着く。
 高地キャンディと違い、町は乾燥している。バス停のすぐ前の宿に飛び込む。インド映画をビデオで流している。地元の人がアラック(焼酎)片手にビデオに拍手を送っていた。疲れで眠りが深い。
 翌朝早く、歩いて古代仏教の遺跡群へと向かう。十一~一三世紀の遺跡である。広大な土地に宮殿跡、ストゥーパ、僧院跡が並ぶ。クワドラングルと呼ばれる往時の仏教の中心地だ。同じ上座部仏教タイと仏教の故地インド双方の遺跡を連想させる。仏陀の歯を祀った仏歯寺もここにあった。王の庇護の元、数千、数万の僧侶が、瞑想と修行の日々を送ったのだろう。
 午後、今度はレンタサイクルを借り、また遺跡を訪れる。大きなストゥーパがある。十二世紀のランコトゥ・ビハーラだ。五十メートルを超える高さ、カトマンズの仏塔ボダナートより大きいかもしれない。隣のキリ・ビハーラはタイのスコタイ期の遺跡にそっくりである。
 有名なガル・ビハーラへとペダルをこぐ。二十五年間、釈尊に侍者として仕えた阿難(アーナンダ)と、入滅する釈尊を、高さ十メートル、幅三十メートルもあろうかという巨大な岩に彫りだしている。胸に手を当てた阿難の憂愁が、伝わってくる。巨大さ故の威圧感よりも、柔らかな曲線による姿とその表情から、仏教特有の静寂感を感じる。仏像の下で猿と遊びながら昼寝してしまう。同行の妻はいつものスケッチ帳を取り出して鉛筆を走らせている。夕方、巨大な太陽が貯水池の向こうに沈むころ、くたくたになって宿に戻る。明日朝早い。
 翌朝七時前、アラームの直前に目覚める。八時にバスターミナルに着くとコロンボ行きミニバスが時刻表どおり、ちゃんと待っていた。時には数時間炎天下でなかなか来ないバスを待つことが多い、インド大陸の旅とは大違いだ。
 バスに乗り三時間、乾燥した大地にまばらな潅木と、椰子の林の峠を超えると、急に小雨交じりの天気に変わる。風景は青々とした広葉樹と、壁の所々に苔の目立つ家並に変わった。この時期この国は、乾燥地帯と湿潤地帯がきれいにわかれているらしい。途中、ダンベラという町を通り過ぎると、また警察署が厳重な鉄条網と土嚢で武装していた。コロンボに着いたら明日にでもインドビザの申請や、航空券の手配など煩雑な手続きがまっている。

  • ガル・ビハーラの大仏さま(ポロンナルワ遺跡)

  • 街中にも仏さまが(ゴール市内)

巡礼メモ

  • ポロンナルワ周辺地図
  •  スリランカへは、成田から直行便が週三便、バンコク、シンガポール乗り継ぎも便利だ。コロンボからは特急バスで約五時間半。近くのアヌラーダプラ遺跡、シギリア遺跡も併せて訪れたい。