サーキャ南寺(チベット自治区)

My Pilgrim’s Note for Asian BuddhismTemples

サーキャ南寺

 天空の仏教圏チベットは、いうまでもないことだが空気が薄い。ほぼ富士山と標高が同じ首府ラサ(標高三六五八メートル)へ一気に飛行機で飛ぶと、三割方の日本人は高山病にかかる。ホテルの部屋へ階段で上がると、ハーハーゼーゼー、健康な者でも極端に息が切れる。三度目のラサだったか、到着直後に、この症状にならないよう気にはしていたものの、つい急ぎの用があり、街を走ってしまった。案の定、その夜、極端な頭痛に悩まされる。陸路で高度馴化しながら、チベットに入ると問題はないのだが。
 チベットは現代日本人が喪った多くのことを教えてくれる。首都ラサの大昭寺(ジョカン)に詣でてみるがいい。寺の周りのバルコル(六角街)には、無数の巡礼者が五体投地で右繞(うにょう=仏の周りを右回りに廻る礼法)しながら、我が身を大地に打ち付け、口には「オンマニペメフム」(観音菩薩の真言「六字大明呪」)と称え、一心に祈る姿と出会える。信仰の深さにおいて、チベット人は比類がない。夜、宿を出て、空を見上げればいい。無数の星が手を出せば触れると錯覚を覚えるほど、輝いている。大気が透き通っている、自然のすばらしさ、怖さをチベットの人は知悉している。
 カトマンズーラサ間は陸路で二度歩いた。全行程一二〇〇キロあまり、途中、五一三三メートルラクバ峠をはじめ四千メートル超の峠を三度越す。空気不足でやや朦朧とした感覚で見るチベット世界は、強烈である。ランドクルーザーをチャーターしても、七泊はかかる行程だ。一度目は一九七〇年代後半、妻とヒッチハイクで二週間かけて、二度目は二〇〇一年の夏、友人と運営する海外教育支援団体「テラ・ネット(Terra Net)」のスタディーツアーで走破した。
 サキャ寺は、中国チベット第二の都市シガツェから百三十キロあまり西、カトマンズーラサを結ぶ中尼公路から二十キロほど南へ入ったところ中国語表記で、「薩迦」と書く村にある。チベット四大宗派の一つサキャ派発祥の地だ。サキャ派は十三世紀元朝皇帝の帰依を受け、中国全土に広まったという。他の宗派と際だって違うのは、寺の壁が、濃紺の地に白とエンジのストライプで塗られていることだ。最も古いニンマ派、ダライラマの属するゲルク派などが多いラサやシガツェの寺とは一見して異なっていることが分かる。
 テラ・ネット(Terra Net)の友人たち十二人と、寺に詣でた。骸骨のお面をつけた村人が歩いている。何事かと、寺の奧の河原を遠望してみると、数百人の村人や僧侶が、踊っているではないか。チベット仏教独特のロングホーンに、鉦や太鼓で、延々と仏に捧げる舞を踊って、村人は弁当を広げ、それを見守っている。なにかのお祭り、大法要なのだろう。中国共産党侵攻後、三千人いた僧、栄華を誇ったサキャ寺北寺は完全に破壊され、派を代表するリンポチェ(高僧)は、北インドに亡命し、寺はインド・ラジプールに移転、現在は南寺が残るだけと聞いていたが、北寺の廃墟の前で、こうして大きな祭が再興されているのは、チベット人の信仰の深さ、中国の経済的な発展のたまものだ。
 寺を後に、一路ネパール国境を目指す。平均三千五百メートルの乾燥して荒涼とした大地から、一気に標高にして千メートルを下る。緑の谷に入る。滝が川に落ちている。夢のようなチベット世界から別れを告げたことを実感する。

  • 祭りが終わって(サキャ寺)

  • 村の女(シガツェ郊外)

巡礼メモ

  • サーキャ南寺周辺地図
  •  ラサへは日本から直行便はなく、上海などで乗り換え。ラサから陸路シガツェ経由で行く。直行バスは、週一便しかなく、二泊三日の行程となる。シガツェからは一日一便程度のバス。車をチャーターする方が、便利だし危険も少ない。