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父と祖母の死

祖母千寿が4月28日に数え歳百三歳で亡くなり、父勲矣も7月10日に同九十三歳で逝った。いずれも死亡診断書には「老衰」とあった。2人とも眠るような死だった。
 祖母は98歳まで自宅で主に母統子が介護して過ごしていた。固形食が食べられなくなり、市内の特別養護老人ホームのお世話になった。27日夜、様態がおかしいとの連絡が入り翌28日の早朝、眠るように逝った。高齢でもあり、無理な延命治療をしないでくれと、頼んでいた。栄養点滴特有のむくみも無く、きれいな死に顔であった。
 父は89歳まで歳を感じさせないほど元気であった。その年、2度続けて脳梗塞の症状が出て、武雄市の病院にお世話になった。しかし、右足が不自由になっただけで、杖をつくと歩ける状態で、退院してきた。それから二年、不自由なく寺で過ごし、今年5月には、久留米市であった孫の結婚式に出席するほどであった。
 父の死の引き金を引いたのは、二人三脚で寺をもり立ててきた祖母の死だったと思う。祖母の死から、2週間ぐらいだったか5月中旬、圧迫骨折の疑いで、多久市立病院の整形外科に入院、そのころから食べ物を受け付けなくなった。圧迫骨折は治癒したものの、相変わらず食べ物の摂取量は、ほんの少しで、そのまま内科病棟に移った。
 6月はじめ、熱が収まらず、肺炎の疑いが出てきた。しかし、父の驚異的な生命力で、抗生剤の点滴で乗り切った。6月末、医師より、「栄養を摂取しないと死期が早まる」と告げられたが、無理な延命治療をしないでほしいと、母、私共に医師に相談した。中心静脈栄養、鼻からの栄養補給、胃ろうの栄養補給などをしないで、腕からの点滴で最低限の栄養、水分補給を行った。その間、久留米市、福岡市、大津市に住む妹(父からいえば子どもたち)や、それぞれの合計12人の孫が、次々にお見舞いに訪れてくれた。父ももうろうとした意識のなかでも、孫の見舞いに嬉しそうな顔を見せた。
 7月6日、担当の医師から呼ばれ、点滴する血管が萎縮し、点滴が出来ない事を告げられた。母も私も、最初から決めていたように、延命治療をしないで、尊厳ある最期を希望した。点滴をやめて、痰も出なくなり、むくみも無くなった。同月10日朝8時過ぎ、様態が急変したと病院から連絡を受けて、寺の正面にある市立病院に向かった。本当に眠っているような最期だった。死亡診断書には、祖母と同じ「老衰」とあった。(住職独白)

| ポクポク木魚 | 10:57 AM | comments (0) | trackback (0) |

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