専称寺ご案内
寺だより「MOYAi」
ギャラリー三蔵堂
オフィス三蔵堂
専称寺墓地・納骨堂「光明殿」
永代供養墓「菩提樹陵」
お寺アクセス
お問い合わせは、mail@senshoji.jp へ
専称寺トップへ

CALENDAR

        1 2 3
4 5 6 7 8 9 10
11 12 13 14 15 16 17
18 19 20 21 22 23 24
25 26 27 28 29 30  
<前月 2017年06月 次月>

NEW ENTRIES

CATEGORIES

ARCHIVES

PROFILE

OTHER

www.senshoji.jp

<<次の記事 前の記事>>

共生き社会を生きる

 タイちゃんは、うちの寺の次男だ。二歳の時、百日ぜきをこじらせて、肺炎となり、高熱が続いて重度の知的障害を背負った。その彼も、体格も大きくなり現在、特別支援学校の高等部二年生、思春期まっただ中だ◆彼には奇矯な癖がある。親への反抗が昂じて、着ているものすべて、脱ぎ捨てて境内に飛び出すのだ。境内だったらまだいい。昨年、何度か町まで素っ裸で飛び出した。立派な刑法違反である。「タイちゃんが、うちの前を走っていったよ」「タイちゃんが今ここにいるよ」。多くの方々が、電話でタイちゃんの居場所を教えてくれる。体をくるむ毛布をもって、携帯電話で情報をやりとりしながら、タイちゃん捜索が始まる。警察も心得たもので、二度目以降は簡単な事情調査で終わりとなる。都市ではこうはいかないと思う。十六歳の青年が裸で町を徘徊したら、一晩は警察のお世話になるだろう◆かつて、たぶん高度成長時代までだと思うが、日本の共同体、例えばイエ社会、ムラ社会は、忌み嫌われた。村での相互監視社会、大家族での嫁姑の確執だとかで、ムラやイエを離れ、「自立した」市民として生きることがもてはやされた。しかしどうだろう。21世紀の現代、伝統的家族の崩壊、縮小、限界集落の出現などムラもイエも息絶え絶えである。そもそも自立した個人なんて可能だったのだろうか◆そんな現代にあってタイちゃんの一件は、私の住む町には、共同性が生きていることを、思い起こさせた。「共同性」という難しい言葉を使わずともいい。顔見知りの社会が、どれだけ人に優しいか。人は一人では生きられない、これが共生き社会の原点だ。独りで生きることが難しいからこそ、人と人とが縁でつながる。そんな社会がこの日本にまだまだいっぱい残っていることを祈っている。(K) =この原稿は浄土宗出版が発行する機関誌浄土宗新聞2015年3月号の一面コラム鐸声に掲載されました

| @Temple | 10:29 AM | comments (0) | trackback (0) |

コメント

コメントする








この記事のトラックバックURL

http://senshoji.jp/senshoji/blog/tb.php/88

トラックバック

PAGE TOP ↑


Copylight(c) 2003 HOHNEN BUDDHISM SENSHOJI TEMPLE, SHUNKAI KAWASOE. All rights reserved.