ろんだん佐賀 8 佐賀弁ラジオ
それはひょんな事から始まった。94年お正月のゲストとして、当時映画の自主上映団体のスタッフだった私は、番組に呼ばれ、映画のことをおしゃべりした。それがうけたのか、三月にもう一度ゲスト出演、そのまま四月から番組を担当することとなった。新聞記者としての経験は少しはあったものの、放送は全くの素人。今考えれば冷や汗ものである。
担当は土曜日の朝ワイド(約2時間)と呼ばれるバラエティ番組でお相手は、メキシコ人の女性だった。日本人と結婚して、ほぼ日本人化していた彼女本来の、ハッピーなラテン気質をおしゃべりのなかで引き出そうと、懸命だった記憶がある。
その後、月曜日、火曜日の朝ワイドを経験し、開局40周年での企画「わが町大好き」と題した生の現地オンエア番組を担当した。当時、佐賀県は49市町村、1年間のワンクールが55週だから、ちょうど全市町村を回れることとなる。町村長さん、JAの組合長さん、婦人会長さんなど町村の代表に集まってもらって、1時間半の番組を制作した。町の特産物紹介、名所の紹介などで、担当者に話してもらったりもした。いつも通っている市町村でも、知らないことが多く驚きの連続だった。評判がよかったのか、3年間番組は続いた。
あるとき、ふと気付いたのが、番組は佐賀弁で進行する方が、ゲストの反応がよく、本音を引き出せるということだった。それまで、「一応」公共放送ということを意識していたのかどうか、標準語でおしゃべりしていた。ところが、ディープな佐賀弁で、番組を進行したとたん、番組が深く、テンポがよくなった。
実は「標準語」なるもの、明治維新初期に国家統一の国策として、また当時の言文一致運動の成果として、始まったものだ。日本放送協会(NHK)がラジオ放送を開始してすでに90年近く、今や誰もが標準語を話す時代である。地方から上京して、なまりが気になるという時代でもなくなった。方言と標準語が、すぐ切り替えられる世代ばかりとなった。
在京キー局のアナウンサーが、地方で取材するのに、無理に方言を使うのに、私は違和感を持つ。また、地方局の番組進行に、標準語を使っているのにも同じように、微妙にそぐわない感覚を持つ。地方放送局が、標準語を使う時代が終わりつつあるのではないかと思う。佐賀弁のニュースショー。天気予報があっても良いではないか。「今日はがばいよかニュースがあっですばい」とニュースキャスターがしゃべる番組があっても良いではないか。
ここ数年は、スタジオにゲストをお招きしての対話番組を担当している。お相手が佐賀出身、佐賀在住の方には、当然ながら、佐賀弁でお相手をしている。その方が、ずっとテンポの良い番組に仕上がるからだ。災害放送でその重要性を見直されたように、電池一個さえあれば聞けるラジオ、スマホによるリアルタイムの番組を聴くIPサイマル放送も始まった。弁当箱大の機器さえあれば、どこからでも放送できるラジオ、最もシンプルな媒体であるラジオの未来を信じてやまない。(「ろんだん佐賀」と題された原稿は、佐賀新聞社「ろんだん佐賀」として掲載されたものの転載です)
| ろんだん佐賀 | 11:35 AM | comments (0) | trackback (0) |