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死の平等

 社会福祉法人を新設して、障害者就労支援施設を開所し3ヶ月が経った。就労支援施設とは、国から支援費を受けながら、事業を行い、事業の収益が障害者の賃金(工賃)となるシステムだ。毎日、25人前後の障害を持った利用者が、施設に通ってくる。事業の中心は俗に「野菜工場」とも呼ばれる耐候性ハウスによるトマト養液栽培とシフォンケーキを中心とした焼菓子作りだ。トマトもケーキも市場に出回るものと互角に戦える商品価値があると自負している◆利用者は、それぞれに重い過去を背負っている。10代で統合失調症を発症したもの、叫声を発する多動や1日じっとして動かない自閉症の子、幼児期に高熱を発して知的障害になったもの、障害程度は軽いものの、一般就労ではどうしてもついて行けなかったもの、様々である◆健常者は、この資本主義社会に生きている限り、「競争」のなかで生きざるを得ない。「お受験」に始まる学校のなかの偏差値競争、就活、出世競争……、結婚だってある種の異性をめぐる競争だ。より強く、より高く、より広いものをめぐる永遠の競争(闘争)、垂直に尖った世界である。障害者の世界にいると、こんな競争世界が遠くにかすんでみえる。障害者にとって、この世界は水平的な、平べったい、共に優しくなれる共同世界だ◆福祉関係者からおもしろい話を聞いた。障害者も健常者も65歳を過ぎると年金と介護保険の制度下に移行するとのこと。どんな競争世界の勝者も、人生の終末期は「障害者」として介護を受けて、命を終える。これは「死の平等」を説いた法然さんの教えそのものじゃないか。日ごろより念仏を称え、最期には浄く美しい世界へと赴く。競争世界の勝者も、福祉制度の庇護の元生きてきた障害者も、死の前ではなにもかわりはしない、と思う(K) =この原稿は浄土宗出版が発行する機関誌浄土宗新聞2015年9月号の一面コラム鐸声に掲載されました

| @Temple | 10:32 AM | comments (0) | trackback (0) |

父と祖母の死

祖母千寿が4月28日に数え歳百三歳で亡くなり、父勲矣も7月10日に同九十三歳で逝った。いずれも死亡診断書には「老衰」とあった。2人とも眠るような死だった。
 祖母は98歳まで自宅で主に母統子が介護して過ごしていた。固形食が食べられなくなり、市内の特別養護老人ホームのお世話になった。27日夜、様態がおかしいとの連絡が入り翌28日の早朝、眠るように逝った。高齢でもあり、無理な延命治療をしないでくれと、頼んでいた。栄養点滴特有のむくみも無く、きれいな死に顔であった。
 父は89歳まで歳を感じさせないほど元気であった。その年、2度続けて脳梗塞の症状が出て、武雄市の病院にお世話になった。しかし、右足が不自由になっただけで、杖をつくと歩ける状態で、退院してきた。それから二年、不自由なく寺で過ごし、今年5月には、久留米市であった孫の結婚式に出席するほどであった。
 父の死の引き金を引いたのは、二人三脚で寺をもり立ててきた祖母の死だったと思う。祖母の死から、2週間ぐらいだったか5月中旬、圧迫骨折の疑いで、多久市立病院の整形外科に入院、そのころから食べ物を受け付けなくなった。圧迫骨折は治癒したものの、相変わらず食べ物の摂取量は、ほんの少しで、そのまま内科病棟に移った。
 6月はじめ、熱が収まらず、肺炎の疑いが出てきた。しかし、父の驚異的な生命力で、抗生剤の点滴で乗り切った。6月末、医師より、「栄養を摂取しないと死期が早まる」と告げられたが、無理な延命治療をしないでほしいと、母、私共に医師に相談した。中心静脈栄養、鼻からの栄養補給、胃ろうの栄養補給などをしないで、腕からの点滴で最低限の栄養、水分補給を行った。その間、久留米市、福岡市、大津市に住む妹(父からいえば子どもたち)や、それぞれの合計12人の孫が、次々にお見舞いに訪れてくれた。父ももうろうとした意識のなかでも、孫の見舞いに嬉しそうな顔を見せた。
 7月6日、担当の医師から呼ばれ、点滴する血管が萎縮し、点滴が出来ない事を告げられた。母も私も、最初から決めていたように、延命治療をしないで、尊厳ある最期を希望した。点滴をやめて、痰も出なくなり、むくみも無くなった。同月10日朝8時過ぎ、様態が急変したと病院から連絡を受けて、寺の正面にある市立病院に向かった。本当に眠っているような最期だった。死亡診断書には、祖母と同じ「老衰」とあった。(住職独白)

| ポクポク木魚 | 10:57 AM | comments (0) | trackback (0) |

理事長というオシゴト

 平成25年の12月に社会福祉法人もやいの会の設立認可が下りて、「理事長」なるオシゴトをすることとなった。26年の3月までは、独りで。4月からは新人を雇い入れ専称寺役員でもあり、障害者福祉に長い経験がある黒岩義秋さんと3人体制、9月からは4人に増えた。今年の4月1日オープンを目指して今は何人ものスタッフ、ボランティアが働いている。
 「理事長」とはいっても、無給ボランティア。本業は、専称寺の住職だと常に念頭に置いて、働いている。無給とはいっても、理事長であることに変わりはない。大半の業務はスタッフがやっていただく。税理士、司法書士、社会保険労務士など専門家に意見を仰ぐことも多い。しかし理事長として時々大きな決断をしなくてはならない。長期展望の計画作り、これに伴う財政問題、雇用、給与、人事などなど。20代からこっち、新聞社、放送局、それに寺の住職をした経験しか持ち合わせていない僕にとって、財務諸表、法律、行政文書は、分からないことだらけ。うーーん。
社会福祉法人もやいの会の目的は障害者支援センターまやの経営である。「まや」の目的は、障害者を日中生活していただいて、一部は働いてもらって、工賃(給与)を出すことである。障害を持つ方をおあずかりすると、厚労省(県の障害福祉課が窓口)からお金が出る。今回、大型のトマト養液栽培ハウスを作った(このトマトが甘くて評判になっている)が、これに対しても農林水産省から工費の半額以上の交付金が出た。いわば、社会福祉施設は、税金のカタマリなのである。
 税金を使わせていただいている故に、審査も厳しく、監査もそれ以上に厳しい。農林水産省の交付金を得るために、A4用紙で百枚以上、書類を作成した。法人認可の多久市や、施設認可の佐賀県にも似たような枚数の書類を作った。
 行政とは書類である、書類に不備、矛盾がなければ、以外と優しい。しかし不備、矛盾を指摘するのはあくまで、国や県や市。お上には逆らえないのである。理事長なる仕事をして分かったことその一である。
 分かったことその二は、理事長なるオシゴトは、孤独であるということ。誰にも相談できないことが、意外と多い。「まや」の運営は、出来るだけ民主的と心がけているが、それでも、エイヤーッと決めてしまわなければならないことがある。それが案外とプレッシャーだったりするのだ。まぁ、十年後には佐賀県の代表的な事業所であると評価されることをめざしひび、苦労します(住職独白)

| ポクポク木魚 | 10:56 AM | comments (0) | trackback (0) |

共生き社会を生きる

 タイちゃんは、うちの寺の次男だ。二歳の時、百日ぜきをこじらせて、肺炎となり、高熱が続いて重度の知的障害を背負った。その彼も、体格も大きくなり現在、特別支援学校の高等部二年生、思春期まっただ中だ◆彼には奇矯な癖がある。親への反抗が昂じて、着ているものすべて、脱ぎ捨てて境内に飛び出すのだ。境内だったらまだいい。昨年、何度か町まで素っ裸で飛び出した。立派な刑法違反である。「タイちゃんが、うちの前を走っていったよ」「タイちゃんが今ここにいるよ」。多くの方々が、電話でタイちゃんの居場所を教えてくれる。体をくるむ毛布をもって、携帯電話で情報をやりとりしながら、タイちゃん捜索が始まる。警察も心得たもので、二度目以降は簡単な事情調査で終わりとなる。都市ではこうはいかないと思う。十六歳の青年が裸で町を徘徊したら、一晩は警察のお世話になるだろう◆かつて、たぶん高度成長時代までだと思うが、日本の共同体、例えばイエ社会、ムラ社会は、忌み嫌われた。村での相互監視社会、大家族での嫁姑の確執だとかで、ムラやイエを離れ、「自立した」市民として生きることがもてはやされた。しかしどうだろう。21世紀の現代、伝統的家族の崩壊、縮小、限界集落の出現などムラもイエも息絶え絶えである。そもそも自立した個人なんて可能だったのだろうか◆そんな現代にあってタイちゃんの一件は、私の住む町には、共同性が生きていることを、思い起こさせた。「共同性」という難しい言葉を使わずともいい。顔見知りの社会が、どれだけ人に優しいか。人は一人では生きられない、これが共生き社会の原点だ。独りで生きることが難しいからこそ、人と人とが縁でつながる。そんな社会がこの日本にまだまだいっぱい残っていることを祈っている。(K) =この原稿は浄土宗出版が発行する機関誌浄土宗新聞2015年3月号の一面コラム鐸声に掲載されました

| @Temple | 10:29 AM | comments (0) | trackback (0) |

ユニセックストイレ

 今回はアメリカの話題ばかりですみません。わずか9日間のアメリカの旅で、たいしたことは言えないのですが、感想を幾つか。
 思ったより以上に、健康幻想を追求する街だなぁと感じた。まず徹底した禁煙社会、路上もレストランも、ホテルの部屋まで全て禁煙。ヘビースモーカーの私には、キツかったぁ。あと、オーガニック(organic)という単語をいっぱい聞いたということ。もともとは「有機の」という意味だが、農薬を使わず、化学肥料も必要最小限とする有機農業のことも指す。オーガニック・レストランには、健康志向の富裕層の客が多い。
 アメリカに行った方はご存じでしょうが、一般のレストランでステーキやハンバーグを頼むと極厚の巨大なものが、出てきてギョッとなることが多いもの。ただオーガニック系のお店に行くと、京料理とは言わないまでも、いかにもカロリーには注意していますという少量の料理が用意される。
 で、驚いたのは、高級感漂うオーガニックレストランに行った時、トイレが男女共用だったこと。トイレボーイがいて、個室を案内してくれ、1ドルぐらいのチップをあげるのは、どの高級レストランでも同じだが、ここは男女共用で、ずらっと個室が並んでいた。
 「これは、男女差別撤廃のひとつとしてこうなったのだ」と確信に近い思いで、一緒に会食していたカルフォルニア大マーク・プラム教授になぜトイレがユニセックスなのか聞いた。彼によると、ウーマンリブ系の活動からこうなったのではなく、性同一障害への配慮からこうなっているのだという。エリート層が集まるレストランは、こうしたユニセックストイレが多いという。
 つまり、自分が女性と思っている男性が、女性トイレに入りづらく、逆もまた同じと言うことだと説明してくれた。また、男性が立ってオシッコをするより、座ってした方が、より衛生的だとも言う。
 また彼によると、肥満と喫煙者は、アメリカでのエリート層には入れないという。健康で筋肉質な人だけが、アメリカの指導者層に生き残っていけるのだそうだ。
 「肥満も喫煙も悪」かぁ。私は肥満こそないが、煙草すうからなぁ。まぁアメリカのことだから関係ないかと、思ってしまったところでした。(住職独白)

| ポクポク木魚 | 10:55 AM | comments (0) | trackback (0) |

大平原の小さな「教会」

 ニューヨーク・マンハッタンから車をとばして約3時間、農家が点在する大平原のまっただ中にその「教会」はあった。三角屋根の木造の建物、近くには牧師館とおぼしき瀟洒な建物もあった。誰が見てもこれはプロテスタント教会に見える。ところが看板には「Tendai Buddhism Institute」とある◆実は、慈雲山天台寺と称する天台宗のニューヨーク別院の建物だ。周りは典型的なニューヨーク州の白人が多数を占める田舎、出迎えてくれた住職ポール・ネーモン(Monshin Naamon)師も二人の総代さんも白人だ。住職によると、今年は12人の信徒が数週間にわたる修行をするほか、朝の座禅会、「往生要集」輪読会など多彩な仏教プログラム、社会活動が実践されている。◆9月、浄土宗平和協会のスタディーツアーで、講義を受けたカリフォルニア大学バークレー校の仏教学教授マーク・ブラム氏によると、白人仏教という言葉があるという。日系人を中心に布教してきた寺院仏教ではなく、白人の僧侶による白人のための仏教を指す。スティーブ・ジョブズが、熱心な禅仏教の信徒だったことは有名だ。駒澤大学の調査によると米国の仏教徒は300万人、その同調者が250万人、仏教に重要な影響を受けた人が2500万人、実に総人口の10%が仏教の影響下にあるという。米国日系人の人口は120万人であり、日系コロニーの宗教から完全に脱皮している。特にこの国の白人仏教の特徴は、平和運動、社会運動に非常に熱心なことという◆法然上人の諡号(いごう)に東漸大師という言葉がある。インドに生まれた仏教が、東へ伝道されていったことを仏教東漸という。米国伝道の先駆者鈴木大拙からほぼ百年、今回のスタディーツアーは日本発の仏教が、太平洋を超えてアメリカ大陸に定着した事を実感した旅であった(K)=この原稿は浄土宗出版が発行する機関誌浄土宗新聞2014年10月号の一面コラム鐸声に掲載されました

| @Temple | 10:27 AM | comments (0) | trackback (0) |

タイちゃん

 タイ(泰史=たいし)ちゃんは、うちの次男だ。二歳の時の百日ぜきをこじらせて、肺炎となり、高熱が続いて重度の知的障害を背負った。その彼も、体格も大きくなり現在、特別支援学校の高等部二年生、思春期まっただ中だ。
 彼には奇矯な癖がある。母親への反抗が昂じて、着ているものすべて、脱ぎ捨てて境内に飛び出すのだ。境内だったらまだいい。今年になって、何度か町まで素っ裸で飛び出した。立派な刑法違反である。
 「タイちゃんが、うちの前を走っていったよ」「タイちゃんが今ここにいるよ」。いろんな方々が、電話でタイちゃんの居場所を教えてくれる。体をくるむ毛布をもって、携帯電話で情報をやりとりしながら、タイちゃん捜索が始まる。警察も心得たもので、二度目以降は簡単な事情調査で終わりとなる。
 親の責任として、地域の方に迷惑をかけたと反省する。それよりも、様々な人々から、タイちゃん情報が寄せられるのに、心から感謝する。
 都会ではこうはいかないと思う。十六歳の青年が裸で町を徘徊したら、一晩は警察のお世話にならなくてはいけないだろう。
 昔々、昭和三十年代、私が小学生の頃、多久の町にはアサオさん、ハットリさん、マンちゃんと今で言う知的障害、発達障害の方がおられた。街をうろうろし小学生をからかうのが趣味のアサオさん、生家の八百屋を手伝い五キロ先の市場まで毎朝、往復するハットリさん(先日久しぶりに法事でお会いしてお元気だった)、馬引きのマンちゃん。マンちゃんは、子どものおちんちんを握るのが癖だった。でも、子どもたちは、この三人に、半ば恐れながら、半ば楽しみとして出現するのを待ち焦がれていたような気がする。多久の町は温かく、時には厳しくこうした障害者を受け入れていた。
 厚生労働省が近年、「障害者との共生」と言い出した。何を今更と思う。高度成長期、障害者を町から引きはがし、山中のコロニーに隔離した犯人が厚労省だ。「共生」という言葉も新造語のように響くが、浄土宗は法然上人の教えの核心部分として「共生」の言葉を明治時代から使っている。
 タイちゃんの一件は、多久には、昔ながらの共同性が残っていることを、思い起こさせた。
「共同性」という難しい言葉を使わずともいい。顔見知りの社会が、どれだけ人に優しいか。そんな社会がこの日本にまだまだいっぱい残っていることを祈っている(住職独白)

| ポクポク木魚 | 10:53 AM | comments (0) | trackback (0) |

リロケーション・ダメージ

 介護の世界で「リロケーション・ダメージ」(Relocation Damage)という言葉がある。「住んでいる場所が変わることが精神に及ぼす悪影響のこと。認知症の高齢者の場合、介護されるために子供の家などへ転居したり、介護施設に住み替えることで、新しい環境や人間関係が精神的なストレスとなり、認知症が急速に進むこと」という。僧侶として高齢者の現場を見てきて、この現象がよく分かる。認知症が進み、遠くの子どもの家、介護施設に移ったとたん、亡くなるケースを何度も見てきた◆こうした現象の背後には、三世代同居がほぼ無くなったという事実がある。2012年の国勢調査で、1~2人の所帯が55・7%、家族が縮小した。三世代同居が全所帯の5%を切った。ある民間の調査結果だが、半径25キロ以内に、子どもが住んでいない高齢者世帯が3割を超すともいう。加えて、高齢者側の事情もある。高齢者の最大の未来に対しての思いは①ポックリ死ぬこと②子どもたちに迷惑をかけないこと。つまり親(高齢者)の側の意思で、長年住み慣れた土地に踏みとどまり、遠くの子の家に移りたくない、遠くの介護施設に入りたくない、そんな思いが強い。たしかに「子どもと住みたい、孫と過ごしたい」という思いと相反する感情で、ぎりぎりまで故郷に踏みとどまる高齢者が多い◆これまで以上に地域の医療・介護・福祉が連携した包括的なケアが必要だと思う。介護度に応じて、選択肢が豊富にあれば、子どもと遠く離れても老後を安心して生活できる。後期資本主義時代に入って、ますますこれから、企業の論理が強くなり、労働の場と、子育て、親の介護の場の分離が大きくなるだろう。そうなった時に、介護・福祉現場の充実は、老年人口の増加と相まってますます必要だと思う。(K)=この原稿は浄土宗出版が発行する機関誌浄土宗新聞2014 年4月号の一面コラム鐸声に掲載されました

| @Temple | 10:25 AM | comments (0) | trackback (0) |

リロケーション・ダメージ

 介護の世界で「リロケーション・ダメージ」(Relocation Damage)という言葉があるという。ネットで調べたら「リロケーションダメージとは、住んでいる場所が変わることが精神に及ぼす悪影響のこと。認知症の高齢者の場合、介護されるために(子供の家などへの)転居したり、介護施設に住み替えることで、新しい環境や人間関係が精神的なストレスとなり、認知症が急速に進むことがあるため注意が必要」とのこと。
 私自身も、住職を十数年させていただいて、この現象がよく分かる。高齢者になって認知症が進み、遠くの子どもの家、介護施設に移ったとたん、亡くなるケースを何度も見てきた。
 こうした現象の背後には、三世代同居がほぼ無くなったという事実がある。2012年の国勢調査で、1~2人の所帯が55・7%、家族が縮小した。それに加えて三世代同居が全所帯の5%を切ってしまった。ある民間の調査結果だが、半径25キロ以内に、子どもが住んでいない高齢者世帯が3割を超すという結果が出た。
 こうした背景に加えて、高齢者側の事情もある。高齢者の最大の未来に対しての「希望」は①ポックリ死ぬこと、次いで②子どもたちに迷惑をかけたくないこと。つまり親(高齢者)の側の意思で、長年住み慣れた土地に踏みとどまり、遠くの子の家に移りたくない、遠くの介護施設に入りたくない、そんな思いが強いという。
 たしかに「子どもと住みたい、孫と過ごしたい」という思いと、「子ども特に嫁に迷惑をかけたくない、友達もなく言葉も違う見知らぬ土地で最期を迎えたくない」という相反する感情で、ぎりぎりまで故郷に踏みとどまる高齢者が多い。
 幸い、多久には昔ながらの「共同性」がかろうじて残っている。深夜徘徊する認知症のお年寄りが、地域の人の通報で、すぐ家に戻れたとか、一日二日、顔を見ないので、独居老人に声かけをしてくれたとか、そんな事例に事欠かない。また多久でも、それまで特老と老健施設しかなかったのが、ここ10年でNPOなどによるグループホーム、有料老人ホームなどが次々と建設された。
 リロケーションダメージを回避するためにも、これまで以上に介護の地域の医療・介護・福祉が連携した包括的なケアが必要だと思う。配食サービス、在宅ケアに始まって、介護度に応じて、日中ケアサービス、グループホームなどの選択が豊富にあれば、子どもと遠く離れて老後を過ごしても、安心して生活できる。
 後期資本主義時代に入って、ますますこれから、企業の論理が強くなり、労働の場と、子育て、介護の場の乖離が激しくなるだろう。そうなった時に、介護現場の充実は、老年人口の増加と相まってますます必要だと思う。(住職独白)


| ポクポク木魚 | 10:51 AM | comments (0) | trackback (0) |

終活と遺品整理と

 このごろ「終活」についての講演に呼ばれることが多くなった。ご存じだと思うが終活とは、「自らの最期のための準備」。遺産の法的処分や、遺言状の書き方などは、司法書士や公証人に任せて、私はもっぱら、死のための心の準備についてしゃべっている。話していて、気づくのは「死」まで「自己責任」の範疇に入ってしまったのかという、ため息にも似た思いである。
 昭和30年代までの伝統的家族が健在なころは、人の死も自然であった。家の中で病み、そして死を迎え、野辺の送りまで自宅で行い、家族の成員は、それをごく当たり前のものとして受け取った。今は、施設で老い病院で最期を迎え、葬儀も斎場で行われる。死がちっとも日常ではなくなった。だからこそ終活なる言葉が流行するのだろう。
 時代の変化が、死の自己責任化を生み出した、とも言っていいだろう。講演では、臨死体験の話や、死に際しての五つの心構えについてしゃべっている。その五つとは「〇手放す〇許す〇まかせる〇感謝する〇別れを言う」である。
 現在の80代の方々は、高度成長期にちょうど働き盛りだった世代だ。昨日よりも今日がいい生活、昨年よりも今年が豊かな生活と、なりふりかまわず前進してきた世代だ。そのために家財も多い。なかなかものを捨てきれない感覚の持ち主だ。
 そんな人々を前にものを「手放し」なさい、そして、人との縁を豊かなものにするためにも「許し」なさいと説いている。怒りや怨みをもっていても、ほとけさまにはなれませんよ、あなたの中だけでも許しましょうよ、と喋っている。
 そういえば、この頃、遺族から遺品整理が大変だとよく聞くようになった。三世代同居がほぼ無くなり(一昨年の国勢調査で5%を切った)老親と子は別所帯が主流だ。そうすると、親を看取った後に、膨大な親の遺品が残ってしまう。思い出の品だけに、捨てに捨てられないものも多い。こうした現実もあって、自らの死に際して、「手放す」ことの大切さ、仏教の文脈で言えば、ものに執着することの無意味さを教えている。
 そして「まかせる」。これは二つの意味で重要だ。子にまかせる、ホトケにまかせる。自我を捨てること、死が近くなって我欲もあるまい。すべて人にまかせる心、そして最期は仏にまかせ、みずからも仏となるという仏教の教えを説く。残りの二つは、案外難しい。死に際して、ちゃんと家族に「ありがとう」といえるか、「さようなら」といえるか。
 講演の最後に、尊厳死のすすめを付け加えている。様々な延命処置を施されて、パイプに繋がれたまま何年も生きることの意味があるのかどうか。尊厳ある死を迎えるために、尊厳死協会の発行する「私の病気が現在の医学では不治の状態であり、すでに死期が追っていると診断された場合には、徒に死期を引き延ばすための延命措置は一切お断りします」などとする宣言書を紹介、終活の講演を終わっている。一度、自らの最期を真剣に思ってはいかがでしょう。(住職独白)

| ポクポク木魚 | 10:50 AM | comments (0) | trackback (0) |

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